「枇杷って、何か、悲しい果物だな」「どうして？」「なんでだろう？西瓜や柿や林檎やみかんに比べて、何か、悲しいと思わないか？」その時、わかった。枇杷の味をすぐに思い出せないからだ。俺は、今、枇杷を食べたばかりだというのに、もう、その味を忘れかけていた。枇杷は、忘れられる果物だ。忘れられることは悲しいと、俺は、改めて思った。

＜逃れの町＞
「もしも、どこかの悪党が殺した相手が、あなたの・・・・」
「あなたの身内なら。そして、それは過失による殺人でなければならない」
「あなたはどこかの悪党に身内を殺されて逆上し、怒りに燃え、相手に報復したとする。法はそれを例外扱いして、あなたは自分の殺人で市警に処せられることはない」
「ただし、犯人が＜逃れの町＞に逃げ込めば話は別です。そうなったら、あなたが犯人を殺すことは許されない」

集団に物事が浸透する過程を研究した波及セオリーとは
初めはなかなか広まらんが、急に爆発的に広がるじきがるある。いろんな事例の統計処理をすると、この時期は大抵、集団の一割から二割まで物事が浸透した頃なんや。逆に物事が浸透しきった時でも、一割か二割は受け入れない。八割と二割が奇妙な共存状態で、そのまま安定する。

「ねえ君、生きているのは楽しいかい」「さあ、おいでよ」 ためらうことなく僕は、路地の奥へと足を踏み出す。澱んだ濃厚な闇は先へ行くほどにいよいよ濃厚さを増し、それは視覚だけではなく 僕の聴覚や嗅覚、味覚や触覚までをも覆い尽くしていった。 深く深くどこまでも続く闇の道はむしろ、ふわりと甘い綿飴にも似て、愛おしい人の優しい腕にも似て、安らかな眠りをくれる暖かな毛布にも似て、 極上の心地よさで僕を包み込み、呑み込んでいくのだった。

読書とは彼女にとって、娯楽であると共にこの上ない喜びなのだ。几帳面に並んだ活字を追うことによって頭の中に紡ぎ出されていく物語を、いつも体中で味わっている・・・そんな顔をしている。ときにハラハラドキドキし、ときにわくわくし、ときにほろりとさせられ・・・想像力によって無限に広がっていく美しい世界を、粉々に打ち砕く権利は誰にもない。子どもが無心に作った野の花束を取り上げ、泥靴で踏みにじる権利が誰にもないように。

奪って逃げる。その間に警報装置は押させない。それだけだ。そうすれば銀行だってその辺の酒屋と変わらない。大金のある酒屋だ。

この病気になってから、いろんな悲惨な状況に陥ってきた。でも、どんな悲惨な状況でも楽しみというものはみつけられるものだ。これからも、どんな状況になるか分からないけれども、どんなときでも何かしら楽しみを見つけることができるとオレは確信している。最低、生きてさえいれば、必ず何か見つけられるのだ。

台所に向かい、買ってきたばかりのしじみをボウルに入れる。砂を吐き出させるために、水を入れた。夕食の支度まで、放っておく。じっと器を見下ろすと、ぷかっ、ぷかっ、と泡が水面に浮かんできた。しじみの呼吸だ。音もなく殻を開き、息をしている。それを蝉は、一心に見つめる。生きている。いいなあ、と思う。この、しじみの砂抜きをしている時が、それを眺めている時が、蝉にとってはもっとも幸福が感じられた。

いつの間にか生まれていて、いつの間にかここにいた。「わたしがいた、証拠なんてどこにもないし」亡き妻の言葉が甦り、はっとする。確かにいつの間にか生まれて自動的に人生を始めた僕たちに、証拠なんてないのかもしれない。ブライアン・ジョーンズがローリング・ストーンズにいた証拠はないのと同じで。

誰もが、記憶を改竄し、自分の身に起きたこと、かってあったであろうことを日々自分の中で作り出しているんです。あったかもしれない逢瀬、出会っていたかもしれない恋人を探している。去年、僕はここに来て、いろいろなことを考えた。これからおきるであろうこと、もしかして自分がしでかしてしまいそうなこと。ひょっとしてそれはもう現実に起きたことなのかもしれない。

「だいたいこの世には、あるべくしてあるものしかないし、起こるべくして起こることしか起こらないのだ。自分達の知っている、ほんの僅かの常識だの経験だのの範疇で宇宙のすべてを解ったような勘違いをしているから、一寸常識に外れたことや経験がない事件に出くわすと、皆口を揃えてヤレ不思議だの、ソレ奇態だのと騒ぐことになる。だいたい自分達の素性も成り立ちも考えたこともないような者に、世の中のことなんかが解ってたまるかい」

久里子はくすくすと笑った。だけど、弓田くんの提案はなかなかいいかもしれない。落ち込んだときには、「きっと違う」と信じて、少し元気が出たら、ちょっとずつ現実を受け入れていくこと。受け入れるのに時間がかかっても、きっと神様はゆるしてくれるだろう。

それなのに歩いても歩いても、存在しない文彦のあるはずのない記憶が追いかけてくるのだ。立ち止まって、思い出そうとする。また立ち止まっておもいだそうとする。何を思い出せばいいのかもわからないまま何度も何度も思い出そうとする。痒いような感覚が私を急きたてる。やがて夢の理不尽さに気が狂ったようになって、また歩き始める。どこまで行っても荒野のどこにもなんの痕跡もなくて、ただ永遠に誰かの記憶に追われてすすり泣きながら、少しずつ私でないものになていくしかないー。

どうせ、これから先は喪失との戦いなのだ。友人、知人、体力、知力、金、尊厳。数えだしたらキリがないほど、自分はいろんなものを失うことだろう。老いて得るものがあるとしたら、それは何なのか、知りたいものだ。

鏡が持つ虚構の空間は、現実と非現実が交錯する不思議な意識を、私たちの中に引き起こします。鏡の前に立つと、中の世界は、現実とは異なる別世界ではないのか、とふと思います。そして鏡の中に吸い込まれていくような感覚に陥ります。別の世界の入り口に立っているような錯覚に陥るのです。そう、鏡は他の世界、非現実の、魔界への入り口なのです。

老いはどう考えてもいいものじゃありませんよ。だから老人を減らす事は、決して悪い事じゃない。むしろ延命するほうが害が多いんです。適当なときに楽して死ぬ、これがプロジェクト《天寿》なんです。
「青年は天寿を目指す」「死に方名人」「長寿なんかいらない」

非凡である。無礼である。傍若無人である。天衣無縫である。傲岸不遜である。それでいて眉目秀麗で裕福である。頭脳明晰かどうかは判断できぬところだが、即断即決即行動の人ではある。でー。理解不能である。非常識なのだ。

若く刺激のある空気が鼻から入り、喉を痛め、胸で鈍化する。粉っぽいコンクリートに肘をつき、手に顎をのせる。自分の手の匂いか、それとも黴か埃の匂いだろうか。運ばれてくる未来を待つ視線を作り、遠く、塀の向こう側に広がる青い青い空へ、思いっきり投げてやったけれど、なにも変わらない。

「彼はどの女にもそんなふうに感じているみたいなのです。女はみんな蛇だ、と言っていました。そして、蛇にはそれぞれ形がある、毒のあるやつを見分けられなかったら、命はないって」

「地球レベルで人類の将来を考えるなら、出産の調整同様、寿命管理がやがて医療の重要なテーマになる。人生の終末期に至れば、病院で寿命の見積もりを受けた上で、自宅もしくは施設へ移され、自然な最後を迎える事になるだろう」

僕は頭の中に現実と同時進行で別の世界を作り上げたり、物語を作ったりする事ができる。逆の視点から見ると、僕は同学年の子どもとまったく同じ作業はできても、全く同じ頭の状態にはできないのだ。完全に能力が余ってしまう。だから時々スパークして変な夢を見たり、変な考えに取り憑かれたりすることもある。僕の頭の中には小さなエルビスがいる。そこには50年代に製造された小さなジュークボックスと小さな一人掛けソファとホントに小さな灰皿がある。小さなエルビスはそこでたくさんの音楽を鳴らして僕に聴かせてくれる。

摂津国の悲劇ーもともと一つの国であった摂津国が、明治政府の廃藩置県によって大阪府と兵庫県に分断され、更に和泉・河内という異文化の地と結合を強いられることによって、都市としてのアイデンティティを失ってしまった。